B1B(びーわんびー)とは

B-1は、B-52の後継機として1965年にスタートしたAMSA(次期有人戦略機)計画により、ロックウェル社によって開発され、アメリカ空軍で採用されている可変翼(VG翼)の戦略爆撃機。公式の愛称は「ランサー」(Lancer:槍騎兵の意)だが、実際に本機を運用する人々からは「ボーン(B-One:骨に掛けた洒落)」と呼ばれている。

用途:爆撃機
分類:戦略爆撃機
製造者:ロックウェル・インターナショナル社
運用者:アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国(アメリカ空軍)
初飛行:1974年12月23日
生産数:104機(B-1A:4機、B-1B:100機)
運用開始:1986年10月1日
運用状況:現役
ユニットコスト:2億8,310万USドル(B-1B 1998年)


B-1は当初B-1Aとして超音速で敵領空内に低空侵入する長距離戦略核爆撃機として開発が進められたが、曲折を経て、緊急近接航空支援という、以前とはまったく別の任務を担うB-1Bが配備されている。

B-1Bは、超低空侵攻による核/通常攻撃、通常の戦略爆撃、巡航ミサイルプラットホーム、などの任務をこなすため、地形追随レーダーや、赤外線監視装置、ドップラー・レーダー、ECMシステムなど、充実した電子機器を搭載している。なお、第二次戦略兵器削減条約(START II)の対象となったため、現在配備されている機体はすべて核兵器の搭載を行っていない。
エンジントラブルや搭載コンピュータとECMのミスマッチング(B-1BのECMは自身を妨害するなどと揶揄された)により開発は遅延し、初の実戦投入は1998年の砂漠の狐作戦となった。
B-1Bの搭乗員は、機長、副操縦士、兵装システム操作員、防御システム操作員の4名で、これらの座席はすべてACES II 射出座席である。
B-1Bの機体はB-1Aに引き続き、主翼から固定内翼部を介して胴体と滑らかに融合したブレンディッドウィングボディとなっている。固定内翼部分が発生させている揚力はかなりのもので、迎え角が大きいときには特に顕著となる。主翼は、前縁に全翼幅にわたるスラットと防御装備と一緒の埋め込み式アンテナが、後縁に全翼幅の約3/4を占める隙間式フラップを装備しており、コックピットから同じレバーを使って操作できるようになっている。エルロンは無く、その代わりとしてスポイラーが上部に装備されている。尾翼の垂直尾翼は、垂直安定板と方向舵で構成されているが、水平尾翼は全体が可動する全遊動式となっており、ローリングの際には主翼のスポイラーと水平尾翼の差動により行われる。後退時、主翼後端はヒンジの付いた上部パネルによって巧みに覆い隠され、2重膨張シールによって保護される。機首下部には、2枚の低高度ライド・コントロール・ベーンが装備されており、低高度の飛行中に起きる乱気流を打ち消して飛行を安定させる。操縦装置はフライ・バイ・ワイヤ方式を装備しており、機体のローリングとピッチングを操作する操縦装置は大型機で使用されている操作輪ではなく、戦闘機に使用されている操縦桿が装備されている。また、乗員は前脚の後部にある機体下面から昇降する梯子を使用して乗り降りする。
エンジンは、ゼネラル・エレクトリックF101-GE-102アフターバーナー付きターボファンエンジンを4基搭載している。B-1A用に開発されたF101は、典型的な戦闘機用のエンジンより幾分大きく、ミリタリー推力は海面高度で75.6kN、離陸時にはアフターバーナーを使用し138kNの最大推力を発揮する。エンジンは2基組合わせてポッド式にして主翼付け根付近に搭載されている。
ランディング・ギア(着陸装置)は3脚で、主脚は二輪ボギー式の二重タイヤで四輪、前脚は二重タイヤとなっており、前脚は前方に引き込まれて収納されるが、主脚は二組のエンジンに挟まれたスペースに収納されている。「七面鳥の羽」と呼ばれるアクチュエーター・カバーがエンジンに装着されているが、取り外して軽量化することも可能である。
兵装の最大搭載量は56,000kg(機内34,000kg、機外22,000kg)となっている。胴体中央には、機内の3つの兵器倉が主脚前方に2つと主脚後方に1つあり、その中の前方の2つは、中央にある区間隔壁が可動式になっており、搭載される兵装の種類により区画割りが変更できるほか、取外して1つの兵器倉とすることが可能である。また、その下面には、6つの二重パイロンと2つのシングル・パイロンの8つの機外搭載ステーションがあり、そこにも兵装が搭載可能である。
搭載される兵装の種類は、機内の兵器倉に空中発射巡航ミサイル(ALCM)のAGM-86Bが8発、発展型巡航ミサイル(ACM)のAGM-129が4発、短距離攻撃ミサイル(SRAM)のAGM-69が24発搭載でき、自由落下のMk82通常爆弾とMk36機雷84発が搭載できる。8つの機外搭載ステーションにもAGM-69とAGM-129をそれぞれ12発が搭載可能である。また、それらの兵装類を兵器倉に搭載する際には最初に専用の回転式のランチャーに取付けてから兵器倉に搭載される。
その後、能力向上による搭載兵装類の追加が行われており、ブロックCでは、各種のクラスター爆弾が搭載可能となり、ブロックDでは、軍規格1760兵器データバスが完全統合化されたことにより、GPS誘導爆弾(JDAM)の運用が可能となり、ブロックEでは、風偏差修正子弾散布装置(WCMD)のAGM-154 JSOWとAGM-158 JASSMの搭載が可能となっている。2008年からは、AN/AAQ-33 スナイパーXRと呼ばれる目標指示装置の運用能力の付与が行われている。
レーダーは、AN/APQ-164多モードパッシブフェーズドアレイレーダーで、機首に装備されている。
B-1Bの電子戦自衛装備の中核となるのが、防御システム操作員によって操作される防御電子機器システム(DAS)である。DASは、レーダー受信と対レーダー妨害を統合していることが特徴で、AN/ALQ-161A 無線周波数監視(RFS)/電子妨害システム(ECMS)、AN/ASQ-184 攻撃電子機器システム/防衛管理システム(DMS)と防衛操作および表示システム、AN/ALQ-161尾部警戒機能(TWF)の3つのパートで構成されている。
AN/ALQ-161Aは、データパスにより他の機器とリンクしてインターフェースを行い、AN/ASQ-184を介して防御システム操作員との間で操作と表示ができるようになっており、データパスのインターフェースが故障して操作・表示ができなくなっても、単独での運用が可能である。また、自身のデジタル・データ通信ネットワークにより、機体の周りを多数取り囲んでいる妨害電波チェーンの制御を行い、機体のあらゆる方向からやって来る、多数のレーダーのあらゆる周波数の電波に対して同時に妨害を掛けることができるようになっている。
尾部警戒機能(TWF)は、パルス・ドップラー・レーダーを使用して、後方から来る複数のミサイルを探知して位置のモニターを行い、その中から脅威のものが探知されると、TWFから妨害信号が発信されて、AN/ASQ-184を介してミサイル警報音とともにその方位と距離情報が表示され、防御システム操作員に知らせる、その後、その方位と距離情報を基に、DMSがコックピット後方の上面に搭載されている使い捨て式妨害装置(EXCM)のどちらかの側面を使用するかを判断してチャフ/フレアを射出する。また、2005年には、データリンク装置の導入と、乗員へ知らせる各種表示装置のアップグレードが行われ、2010年には、完全統合型データリング(FIDL)の装備が行われている。
チャフ/フレアは、前述したコックピット後方の後方上面にあるコンピュータ制御の自動および手動発射式の使い捨て式妨害装置(EXCM)に搭載されており、各8つの赤外線フレアとチャフのディスペンサーを構成して収納庫に格納されている。

大型爆撃機としては珍しい可変翼を採用し、15度から67.5度の後退角で幅広い速度領域をカバーしている。最高速度は、空気取り入れ口が可変式となっているA型でM2.2、固定式となったB型ではM1.25となっている。また、ステルス性を持ち、レーダーによる発見率は低いといわれている。
ロックウェル社の航空宇宙部門は、ボーイング社に吸収されており、現在はボーイング社が供給している。ソ連のTu-160 ブラックジャックは、B-1を参考にして開発されたと言われている。これは両者の外見的特徴が酷似しているのが要因であるが、両者は技術的には大きな差異があり、寸法もTu-160の方が一回り以上大きい。同じような現象は同時期の米ソ両国の宇宙往還機スペースシャトルとブランにおいても見られる。
2012年時点で、66機を保有している。

B-1は、戦略爆撃機であるXB-70の開発が挫折したあと、超低空飛行により、搭載された電子妨害装置によって敵の防空網を無力化して、敵地奥深くまで侵攻し、核攻撃を行う必要があるとの戦略思想の元に亜音速低高度爆撃機(SLAB)の研究が1961年に開始された。1963年には、航続距離延長戦略航空機(ERSA)と低高度有人侵攻機(LAMP)の研究に進み、その後、他のメーカーは政府との契約に基づき、発進型有人侵攻機(AMP)と発進型有人精密攻撃システム(AMPSS)の研究を開始した。1965年にはAMPとAMPSSは一体化されて、発進型有人戦略航空機(AMSA)計画となり、1970年よりロックウェル社がこの計画の担当に指名されて開発が開始された。さらに、ソ連の先制核攻撃によって滑走路が一部破壊されても残った滑走路で離陸できるようにSTOL(短距離離着陸)性能も要求され、これらを満たすために可変後退翼が採用された。
B-1Aの初飛行は、1974年12月23日に行われている。1977年6月30日、カーター政権下の軍縮によって開発・導入が中止された。戦略ミサイルが大量に配備され、新しい巡航ミサイルの開発が行われている状況においては、有人爆撃機の有効性に疑問があること、有人爆撃機の生産・管理には多くの経費が必要であることが理由であった。なお、機密であり公表されなかったが、カーター大統領は1978年初頭にはステルス爆撃機B-2へと至るAdvanced Technology Bomber (ATB) プロジェクトを承認していた[1]。B-1Aは、導入が中止された後も、完成した試作機4機を用いて爆撃侵攻評価(BPE)と呼ばれる試験飛行のみが継続された。
1981年8月、レーガン政権による「強いアメリカ」政策によって計画の復活が発表され、B-1は長距離戦闘航空機(LRCA)として配備することになった。既に大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの大量配備により、大型長距離爆撃機による核爆弾攻撃という戦術は実情にそぐわなくなったこと、1980年代後半には退役するB-52の代わりとして新型爆撃機が必要となったためである。これに伴い要求仕様が大きく変更された。B-1Aの試作機の一部では乗員脱出装置がコックピットごと緊急脱出する分離脱出システムであったが、生産型では通常の射出座席に変更され、エンジンもそれ自体は改良型としたもののエンジン空気取り入れ口が可変型から固定型にされた。このインテークの変更はコスト減とステルス性向上を企図したものであり、結果、最高速度はM2からM1.25に低下した。このような経緯を経てB-1Bの生産されて配備に至った。


B-1A
試作機、4機製造された。エアインテークは可変式を採用し、最高速度M2.2。1-3号機まではコックピットにモジュール式脱出装置を採用している(4号機は通常の射出座席)。2号機は墜落事故で損失。

B-1B
生産型、要求仕様の変更からB-1Aから仕様を改めた機体。コックピットの脱出装置はA型4号機と同じ通常の射出座席。ステルス性の向上とコスト低減のため、エアインテークを固定式としたため最高速度はM1.25に低下している。100機が生産された。

B-1R
既存のB-1Bのために提案されたアップグレード案。エンジンのプラット・アンド・ホイットニー F119へ換装、レーダーのAESA化、(あくまで防衛のためであるが)空対空戦闘などにも対処するため幾つかのハードポイントに空対空ミサイルを装備可能とするなどの計画が盛り込まれていた。また、F119の搭載により、B-1Aより持続時間が20%短いものの、最高速度がM2.2になる予定であった。


【ソウル聯合ニュース】米国は12日、北朝鮮の5回目の核実験に対応し計画していた戦略爆撃機B1Bの韓国展開を天候不良を理由に延期した。在韓米軍関係者が明らかにした。
 B1Bの韓国展開は北朝鮮の核実験を受けた韓米両国の初めての実質的な措置だった。天候不調のためとはいえ、韓米間で事態の厳重さに対する認識に温度差があるとの懸念が出ている。
 同関係者によると、グアム基地に配備されているB1Bは現地の強風のため、離陸できなかった。韓国への展開は「少なくとも24時間延期することにした」と伝えた。
 米国は当初、B1Bの2機を在韓米軍基地があるソウル郊外の烏山空軍基地の上空に展開し、武力示威を行う予定だった。
 北朝鮮の核実験からわすか3日で核爆撃が可能な米国の戦略兵器を韓国に緊急出動させ、北朝鮮の新たな挑発に対する韓米同盟の強力な対応姿勢を示す方針だった。
 北朝鮮が韓国への核攻撃に乗り出す場合、米国が主な戦略兵器を使い、韓国を米本土と同水準に防御する「拡張抑止」の方針を再確認する措置でもあった。
 B1BとB52、B2は米軍の3大戦略爆撃機とされ、核爆弾B61とB83を最大24発搭載してマッハ1.2で飛行できる。全面的な核戦争に備えた最強の兵器とされる。
 だが、単なる天候問題でB1Bの韓国展開を延期し、米国が韓国などとは異なり、北朝鮮の核実験を受けた朝鮮半島情勢を深刻に受け止めていないとの指摘がある。在韓米軍関係者は「北朝鮮の挑発に対し、報復の意志を見せつけるという米国の立場に変わりはない」と説明。「気象条件が良くなり次第、B1Bを含む戦略兵器を韓国に展開する」と強調した。
 米国はB1Bを皮切りに広範囲な破壊力を持つ戦略兵器を相次いで韓国に派遣し、北朝鮮への軍事的な圧力を強める方針だ。
 来月10~15日、黄海と済州島の南海上で実施される韓米合同の空母打撃群演習には米国の原子力空母ロナルド・レーガンが参加するとされる。

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