桶川ストーカー殺人事件の全容とストーカー規正法 すとーかー被害にあわないために

桶川ストーカー殺人事件(おけがわストーカーさつじんじけん)とは、桶川事件とも呼ばれ、女子大学生が元交際相手の男を中心とする犯人グループから嫌がらせ行為を受け続けた末、1999年(平成11年)10月26日に埼玉県桶川市のJR東日本高崎線桶川駅前で殺害された事件。警察捜査上の名称はJR桶川駅西口女子大生路上殺人事件として捜査本部を設置するのは遅すぎた。本件の発生が契機となり、2000年に「ストーカー規制法」が制定された。

ストーカー規正法とは、
ストーカー行為等の規制等に関する法律
ストーカーを規制する法律。規制対象となる行為を、公権力介入の限定の観点から、恋愛感情などの好意の感情に基づくものに限定する。

ストーカー行為は親告罪で、罰則は6か月以下の懲役、または50万円以下の罰金である。また、警察は警告書による警告ができ、この警告に従わない場合、都道府県公安委員会が禁止命令を出すことができる。命令に従わない場合には1年以下の懲役または100万円の以下の罰金となる。また、告訴する以外に、被害者の申し出により警察が弁護士の紹介や防犯アラームの貸し出しなど、国家公安委員会規則に基づく援助を定める。女性だけでなく男性も保護対象であり加害者が同性でも適用される。

2012年11月に発生した逗子ストーカー殺人事件を受けて、2000年の本法成立以来初の改正案が2013年6月26日に衆議院で可決、成立した。改正の主な点は以下の点。
1.執拗な電子メールを付きまとい行為に追加
2.被害者の住所地だけでなく、加害者の住所地などの警察も警告や禁止命令を出せるようにする
3.警察が警告を出したら被害者に知らせ、警告しない場合は理由を書面で通知する

2013年8月1日、改正法に追加された「執拗な電子メール」容疑で初の逮捕者が出た。




桶川事件に戻ろう。写真週刊誌『FOCUS』および報道テレビ番組『ザ・スクープ』が行った調査報道により、所轄の埼玉県警上尾署が被害者と家族からの被害相談を極めてずさんに扱っていたことが明らかとなり、警察不祥事としても注目され、警察から3人の懲戒免職者を含む15人の処分者を出した。また一方では、被害者と遺族への報道被害が起こった事件として、報道のあり方についての参考例としても取り上げられる。

事件の発端をつくった被害者の元交際相手は2000年1月に自殺、被害者殺害に直接的に関与した4人にはそれぞれ無期懲役から懲役15年の判決が下され、2006年に全員の刑が確定。また、本件に関わる別事案で起訴された元上尾署員の3人に執行猶予付きの有罪判決が下された。さらに被害者遺族は埼玉県(埼玉県警)を相手取り国家賠償請求訴訟を起こし、警察の捜査怠慢については賠償責任が認められたが、遺族が求めた捜査怠慢と殺害の関連認定については退ける判決が2006年に確定した。

1999年1月に被害者が友人と二人で遊びに来ていた大宮駅東口・大宮南銀座のゲームセンターにおいて加害容疑の男 (以下、A) と知り合い、やがて交際が始まった。Aは被害者に対し偽名を名乗っていたうえ、年齢を3歳若く詐称し、職業も外国車のディーラーと偽り接近したが、その実体は、東京都および埼玉県において無許可でファッションヘルス形態の風俗店を6~7店舗経営する裏社会の実業家であった。
当初のAと被害者は、週に一度食事やドライブに出かける程度の交際をしていたが、そのなかでAは被害者にブランド品の衣類などを頻繁に贈るようになり、そのことに違和感を抱いた被害者がある日受け取りを断ろうとすると、Aは逆上したという。これ以外にもAは情緒不安定な面をしばしば露わにし、被害者は交際に不安を抱きはじめる。またこの頃、車のダッシュボードの中からAの本名が記されたクレジットカードを発見。またある日にAから病院に呼び出されると、病室に暴力団員風の男がおり、そのなかでAは「ミニパトにわざとぶつかってやった」などと自慢気に話した。こうした出来事から被害者はAの身元にも不審の念を抱いていた。
Aが被害者への態度を決定的に変えたのは、3月20日頃のことである。Aのマンションを訪れていた被害者が室内にビデオカメラが仕掛けられているのを発見、これを問い質すとAはにわかに逆上して被害者を隣室の壁際に追い込み、顔面至近の壁を殴りつけながら「俺に逆らうのか。なら今までプレゼントした洋服代として100万円払え。払えないならソープに行って働いて金を作れ。今からお前の親の所に行くぞ。俺との付き合いのことを全部ばらすぞ」などと怒鳴りつけた。この出来事を経て被害者は「交際を断れば殺されるかもしれない」という恐怖心を抱くに至った。また、これ以降Aは携帯電話で被害者に頻繁に連絡を取ることにより、その行動を束縛し始める。
3月30日、被害者は家族と友人に宛てた遺書をしたためたうえで、Aに対して別れ話を切り出す。するとAは被害者の家族に危害を及ぼすことを仄めかしながら、交際の継続を強要した。実際にAは興信所に依頼して被害者の父親の勤務先や、友人の情報を入手しており、このときも被害者が伝えていないはずの父親の情報を開陳していた。被害者は家族に心配をかけることを避けるため、友人にのみ相談しながらAとの交際を続けていくことになった。しかし友人のもとにもAの関係者とみられる人物からの不審な電話が掛かるようになり、友人もAを恐れるようになっていったという。4月21日には、Aは被害者に自ら携帯電話を破壊するよう命じた。その後も被害者が別れ話を切り出すたびにAは家族に累を及ぼすと脅迫し、また被害者の生命を奪うことを示唆するような言葉を向けた。被害者は友人に対し幾度となく「刺されるかもしれない」などと話すようになる。
心身ともに疲弊していた被害者は、6月14日、Aに対して決定的な訣別を告げる。帰宅の最中に被害者は母親に電話を掛け、初めてAとのトラブルが起きていることを伝えた。同日午後8時頃、Aとその兄(以下、B)、さらにもう一人を加えた3人が被害者宅を訪れ、居宅中の被害者と母親に対し「Aが会社の金を500万円横領した。お宅の娘に物を買って貢いだ。精神的におかしくされた。娘も同罪だ。誠意を示せ」などと1時間以上にわたり迫り続けた。その最中に父親が帰宅、しばし押し問答があったのち、3人は帰っていった。
その後、被害者は両親に経緯を話し、翌日に家族は上尾署に被害を申告した。署では被害者からの事情聴取に加え、被害者が録音していたAらとのやりとりの内容も確認されたが、応対した署員は「これは事件か民事の問題か、ぎりぎりのところだね」「3カ月ほどじゃ相手の男も一番燃え上がっているところだよね」などと述べ、脅迫・恐喝とは認められないとの判断を伝えた。これに対し被害者と母は現実に危害が加えられる可能性を訴えて捜査を求めたが、署員は「民事のことに首を突っ込むと、後から何を言われるか分からないんでこちらも困るんですよ。また何かあったら来てください」と要求を退けたとされる。ただし警察側は後の国家賠償請求裁判において「相手の男も」という件と「民事のことに」という件の言葉については事実を争う姿勢を示した。また、6月21日には被害者がAから受け取ったプレゼントをAへ返送し、同日父親が上尾署を訪れ、名刺と共に「荷物は送り返しました。これからもよろしくお願いします」と挨拶をした。後の警察の主張によれば、このとき父親は「無事終わり、ひと安心です。こんなもので悪いのですが」と言いながら菓子折を差し出したというが、父親はそうした事実は一切なかったとしている。
後に殺害についての刑事裁判で明らかになったところによれば、Aが被害者殺害を計画し始めたのは、プレゼント返送の翌日からであった。被害者の身辺ではAからの無言電話や自宅近辺の徘徊といった嫌がらせ行為が続き、やがてその内容は過激化していった。7月13日未明には、被害者の顔写真が入った誹謗中傷ビラが被害者宅近辺の住宅、被害者の通学先、父親の勤務先敷地内などに数百枚ばらまかれた。近所の住人の証言によると、ビラ撒きの実行犯はチーマー風の若い男二人と見られる。被害者は状況確認も兼ねて通常どおり大学へ向かい、翌朝にも日課である犬の散歩を普段通りに行った。このとき「人に顔を見られる」と止める母親に対し、被害者は「私は何も悪いことはしてない」と話したという。
母親はビラが撒かれた当日に上尾署を訪れて被害を訴え、同日昼に署員2人による実況見分が行われた。2日後の7月15日、被害者と母親は再び上尾署を訪れ、無言電話や付近の徘徊といった被害に加え、殺害も示唆されていると訴えてAの逮捕を求めると、応対した刑事二課長(以下、二課長)は「警察は告訴がなければ捜査できない」、「嫁入り前の娘さんだし、裁判になればいろいろなことを聞かれて、辛い目に遭うことがいっぱいありますよ」、「告訴は試験が終わってからでもいいんじゃないですか」などと難色を示した。これに対して被害者は覚悟があることを明言した上で「今日告訴しますからお願いします」、「なぜ延ばすんですか」と告訴の意を強く示したが、二課長は試験終了後に再訪するよう促し、同日中の告訴はならなかった。
7月20日頃には、「大人の男性募集中」という文言と被害者の氏名、顔写真、電話番号が書かれたカードが高島平団地の郵便受けに大量に投函され、これを見た者たちからの複数の電話が被害者のもとに掛かってきた。22日、試験期間が明けた被害者と母親は告訴のため上尾署を訪れたが、応対した二課長は担当者不在を理由として1週間後の再来を促した。29日になって告訴状は受理されたが、一連の名誉毀損行為の犯人については「誰がこのようなことをしたのかわかりません」と記載された。
8月23日には被害者の父親を中傷する内容の文書が、勤務先とその本社に数百枚送付された。父親は同日に上尾署を訪れたが担当者の不在を理由に帰され、さらに翌日改めて署を訪れると、応対した二課長は中傷文書をみて「これはいい紙を使っていますね。封筒にひとつずつ切手が貼ってあり費用が掛かっていますね。何人かでやったようです」などと述べた。父親はAの逮捕を急ぐよう求めたが、二課長は「それはケースバイケースです。こういうのはじっくり捜査します。警察は忙しいんです」と取り合わなかった。いま一人応対した課員(以下、課員Y)は被害者への名誉毀損事件についての書類を整理し、二課長への決裁に上げていたが、二課長はその書類をいったん自身の机に保管し、30日になって上司である刑事・生活安全次長(以下、次長)の決裁を仰いだ。次長はその書類を二課長の机に放り投げ、被害者家族がAからの被害を再三訴えていたにもかかわらず「犯人が特定されていないのだから、何も告訴状をとらなくても被害届で捜査すればよかったんじゃないのか」などと述べた。
このやりとりがあってから2、3日後、次長の意を受けた二課長は被害者から被害届を取り、告訴を取り下げさせるよう課員Yに指示した。被害届であれば県警本部への報告義務がなく、事件を迅速に処理する必要もなかったからである。課員Yは9月7日に被害者宅を訪れて被害届を受け取り、さらに21日に再訪して告訴の取り下げを求めた。被害者の母親がこれを断ると、課員Yは刑事訴訟法の規定で一度告訴を取り下げると再告訴はできなくなるにも関わらず、それが可能であるように話し母親の説得を試みた。しかし母親の意志は固く、逆に「捜査はしてくれないんですか」などと強い調子で問われ、課員Yは引き下がった。警察から告訴取り下げ依頼があったことを知った被害者は、友人に対し「私、本当に殺される。やっぱりAが手を回したんだ。警察はもう頼りにならない。結局なにもしてくれなかった。もうおしまいだ」などと話し、以後急速に落ち込んでいったという。なお、事件発生後にこの件について問い合わせを受けた県警幹部は「調べてみたが、そんな刑事はうちにはいない。記録も報告もない。そんなことを言うはずもない」と事実を否定し、別の捜査関係者は「偽者だ。おそらく芝居を打って告訴を取り下げさせようとしたのだろう」などと述べていた。このため、この件が報道された当初は、犯行グループが用意した「偽刑事」による芝居だとされていた。
10月16日午前2時頃、被害者宅前に大音響で音楽を鳴らした車が2台現れる。両親はすぐに屋外に出て車とそのナンバーを撮影し、警察に通報したが、不審車を捕らえることはできなかった。これが被害者が殺害前に受けた最後の被害となる。
被害者がAからのプレゼントを返送した6月22日、Aの指示を受けたBが、風俗店店長で元暴力団員の男(以下、C)ほか1人に対し、2000万円という報酬を提示して被害者の殺害を依頼し、Cはこれに応じた。7月5日、Aは殺害の実行費用として2000万円をBに預けた上でアリバイ作りのため沖縄県那覇市に飛んだ。この金のうち200万円は、7月13日に撒かれた中傷ビラ作成の費用として使われた。Aは沖縄において、同所で営業するテレホンクラブを閉店に追い込むために間断なく電話を掛けるという妨害活動を、2日間の一時帰京をはさんで10月24日まで行っていた。一方、殺害指示を受けたグループは10月18日に被害者の拉致を計画したが、このときは犯行に及ばなかった。10月25日、殺害実行犯となる3人と風俗店店員1人が犯行現場を下見する。
10月26日午前8時頃、殺害実行役のC、Cの輸送役のD、見張り役のEは池袋に集合したのち、2台の車に分乗して午前9時頃に桶川へ到着した。Eから被害者が近づいているとの連絡を受けてC、Dは桶川駅へ移動し、駅近くのデパート周辺でCが車から降りた。このときDは「太ももを切りつけてくれ」、「大ごとにならないよう太ももを狙ってくれ」と声をかけたが、Cは「お約束できません」と応じたとされる。そして午後0時53分頃、大学へ向かうため駅前に自転車を駐めた被害者は、桶川駅西口前の商業施設「マイン」前の路上でCに上半身の2カ所を刺された。被害者は悲鳴をあげて倒れ、Cはその場から逃走した。このとき目撃者から「ひったくり」と声が上がり、付近で店を経営する男性がCを追ったが、捕らえることはできなかった。その後被害者は上尾中央総合病院へ搬送されたが、午後1時30分に死亡が確認された。死因は大量出血によるショック死で、死亡推定時刻は事件が発生した午後0時50分とされた。
居宅中であった母親に警察から事件発生の連絡が入れられたのは、発生から間もない時刻であった。母親は警察から桶川駅へ来るよう指示され、事件現場を確認。のち警察車両のワンボックスカーの中で30分ほど待たされた。次いで上尾署へ移動し、事情聴取を受けた。この間、被害者の安否を尋ねる母親に刑事は「危険な状態だが、頑張っている」と伝えていた。母親に被害者が「いま亡くなった」と伝えられたのは午後3時頃のことで、その直後に母親が被害者の遺体を確認、さらに母親から父親へ携帯電話を通じて被害者殺害の事実が伝えられた。後に母親は裁判における意見陳述で、「娘が亡くなったのは午後1時30分頃だと後で聞いた。なぜ警察は病院に行くよう言ってくれなかったのか」とその対応を批判している。
一方、殺害実行犯も混乱状態に陥っていた。事件発生直後、EはDへの電話口で「大変だ、本当にやった」などと話し、またCは事前に示し合わせた集合場所に辿り着くこともできず、車に拾われた後は「刺しました。2回刺しました。なんで、俺は、何やってんだ」、「(被害者は)大丈夫かな、もしかして、だめなんじゃないか」などと口走り、非常に狼狽していたという。同日午後5時頃、3人はBと赤羽のカラオケ店で落ち合い、Bは3人に逃亡を指示。Aから託されていた金の残り1800万円のうち、Cに1000万円、D、Eに400万円ずつが報酬として渡された。またBは、遅れてやってきた中古車販売業の男Fに、事件に使用された車両2台の処分も指示した。Bは全体としてCに対して非難めいた態度で接し、帰路の車中では二人きりになったFに「本当に馬鹿だね、あいつは」と漏らしたとされる。
また事件当日、BとAは計13回携帯電話でのやりとりを行った。沖縄でAと一緒にいた者の証言では、Aの様子に特に変わったところはなかったという。その一方で事件の翌日にはAが池袋の生命保険会社に電話したという記録が残されている。
犯行グループで最初に逮捕されたのは実行犯のCで、12月19日のことであった。さらに翌20日はB、D、Eがいずれも殺人容疑で逮捕、4人は翌2000年1月6日に起訴された。同16日には新たに8人が名誉毀損容疑で逮捕され、先に逮捕されていた4人も同容疑で再逮捕された。Aは同日に名誉毀損容疑で全国に指名手配された。
Bの弁護人によれば、逮捕されたBは事情聴取においてAが北海道にいると供述し、さらにAに「死に癖がある」ことや異常な人間性を繰り返し伝えていたが、捜査員は「死ぬ死ぬといって死んだためしはない。お前が弟を狂人にしているだけ」と取り合わなかったとされる。そして2000年1月27日、Aは北海道の屈斜路湖において水死体となって発見され、警察により自殺と断定された。Aが残した2通の遺書(1通は実家へ郵送、1通は遺品のバッグから発見)には、いずれも被害者と家族、マスコミへの怨嗟の言葉が並べ立てられ、自身の冤罪を主張する一方で、自身の家族には事前に自らにかけていた生命保険金を老後資金として役立てて欲しい、との言葉が綴られていた。Aの名誉毀損容疑については、2月23日に被疑者死亡のまま起訴猶予処分となり、Aが責任を問われることはなくなった。


1999年 1月 被害者とAが交際を始める。
3月30日 被害者がAに別れ話を切り出すも交際継続を強要される。
以後、Aからの束縛・脅迫的行為が強まる。
6月14日 被害者がAに別離を通告。同日夜、A、Bほか1名が被害者宅に押しかけ悶着が起きる。
6月15日 被害者が上尾署に相談するも相手にされず。
7月13日 被害者宅周辺などに中傷ビラが撒かれる。同日、母親が上尾署に報告。
7月29日 被害者がAを名誉毀損容疑で告訴する書状を上尾署に提出。
8月22日 被害者の父親の勤務先に中傷文書が送付される。23日には同本社にも送付。
9月7日 上尾署員が被害者からの告訴状を被害届として改ざん。
9月21日 上尾署員が被害者の母親に告訴取り下げを要請。
10月16日 深夜、被害者宅周辺に大音響で音楽を流す車が2台現れる。
10月26日 JR桶川駅西口で被害者が刺殺される。
12月19日 殺害実行犯Cを殺人容疑で逮捕。
12月20日 殺害首謀者B、輸送役D、見張り役Eをそれぞれ殺人容疑で逮捕。
2000年 1月16日 名誉毀損容疑で殺害犯グループを含む12人を逮捕。Aを同容疑で指名手配。
1月27日 Aが北海道屈斜路湖で水死体として発見され、自殺と断定される。
3月4日 『ザ・スクープ』が本事件の特集第1弾を放送。
3月7日 参議院予算委員会において本事件についての初質問が行われる。
3月10日 埼玉県警が調査チームを設置。
4月6日 埼玉県警が調査報告書を発表。
告訴状を改ざんした上尾署員3人が懲戒解雇される。
埼玉県警本部長が被害者宅を訪れ遺族に謝罪。
5月18日 ストーカー行為等の規制に関する法律(ストーカー規制法)が成立。
9月7日 懲戒解雇された元上尾署員3人に執行猶予付き有罪判決が下る。
11月24日 ストーカー規制法施行。
12月22日 遺族が埼玉県(埼玉県警)を相手取り1億1000万円の国家賠償請求訴訟を起こす。
2001年 7月17日 Cに懲役18年、Eに懲役15年の実刑判決が下る。Cは控訴。
2002年 3月29日 Cが控訴を取り下げ懲役18年が確定。
6月27日 Dに懲役15年の実刑判決が下る。
12月25日 Bに無期懲役の判決が下る。Bは控訴。
2003年 2月26日 国家賠償請求訴訟・地裁判決。
警察の怠慢を認め遺族に550万円の賠償を命じるも、怠慢と被害者殺害の因果関係を認めず。
遺族・警察双方が控訴。
2005年 1月27日 国家賠償請求訴訟・高裁判決。地裁判決を支持し、双方の控訴を棄却。
12月20日 Bの高裁判決。地裁判決を支持しBの控訴を棄却。Bは即日上告。
2006年 8月30日 国家賠償請求訴訟・最高裁判決。地裁判決を支持し双方の上告を棄却。
事件に関わる警察の対応についての判断が確定。
9月6日 Bの最高裁判決。地裁判決を支持しBの上告を棄却。Bの無期懲役が確定。

ストーカー被害にあわないために

Q
以前、交際していた男性から、拒否したにも関わらず、会社帰りに待ち伏せされたり、しつこく手紙や電話がきて迷惑しています。これって犯罪ですか?
A
犯罪です。
このように「つきまとい等」を繰り返す行為は、ストーカー規制法により処罰の対象になります。

Q
具体的にどういうことをするとストーカー規制法によって処罰されるのですか?
A
あなたの自宅や勤務地で待ち伏せしたり、押し掛けたり、連続した電話や無言電話をかけたりする行為等や、インターネット上で誹謗・中傷文書を掲示したり、メールを毎日何十通も送り付ける行為が該当します。

Q
こうした被害を防ぐためにどのようなことに気をつけたらいいですか?
A
予防策の一つとして、交際相手と別れるときに相手を傷つけたくないと考えたため曖昧な別れの表現をすること、別れたいという気持ちを相手にうまく伝えられないこと、又はきちんとした理由を告げずにメールで一方的に別れ話を送信し、そのまま音信不通にすること等には注意が必要です。
相手は交際を拒否されていることに気付かず、まだ付き合っていると都合の良い解釈をしたり、別れたことの理由を知ろうとしてあなたにしつこくつきまとうケースがあります。
また、通勤途中等に見知らぬ相手から一方的に好意を寄せられることもあります。
相手に生活・行動パターンを把握されないようにすることや、住所、氏名の記載のある郵便物等をゴミとしてそのまま捨てずに細かく切って捨てたり、窓に厚手のカーテンをひくなど、自らのプライバシーを守ることが大切です。
インターネット上で個人情報や顔写真を公開したり、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で知り合った相手に、安易に個人情報を提供すること等にも注意が必要です。

Q
このような被害にあったらどうすれば良いのですか?
警察はどんなことをしてくれるのですか?
A
最寄りの警察署に相談してください。警察では被害防止のためのアドバイスをしたり、相手方に注意・警告を行います。
また、相手方を直接告訴することで逮捕することも可能です。
警告に従わない場合は東京都公安委員会が聴聞を実施して禁止命令を行い、最終的には、ストーカー規制法によって処罰されることになります。
被害が深刻になる前に、迷わず最寄りの警察署に相談してください。

問合せ先
警視庁 生活安全総務課 ストーカー対策室 相談受付
電話:03-3581-4321(警視庁代表)

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