ビットコインが現実通貨に絶対ならない訳

ビットコインなどの仮想通貨が投機的バブル状態を巻き起こしていることは、誰の目にも分かりやすい。より難しく、重要な問題は、この種の暗号通貨には、実際の「貨幣」としての信用があるのだろうか、という点だ。

主要中央銀行のバランスシートが激しく肥大化しており、政府債務の増大に加え、超低金利政策がもたらす多くの副作用によって、伝統的な通貨の安定性が脅かされる中で、仮想通貨に安心安定の未来があるという考えは魅力的に聞こえるだろう。

だが、ビットコインを筆頭とする仮想通貨は、貨幣ではなく、根本的な変化がない限り、今後も決してそうはならない。
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ビットコインは、本来の通貨が持つべき特性の多くを備えている。分割したり、蓄えることが可能であり、譲渡することもできる。そして、供給も限定されている。しかし、怪しい仲介業者に預託してしまい、その責務が虚空に消えてしまう場合もありえる。

貨幣は、過去にさまざまな形態を経てきたとはいえ、1つの社会的技術に過ぎない。過去に貨幣の役割を果たした奇妙な貨幣の例としては、酒のジンやジャム、マルベリーケーキ、ねずみ取り、キツツキの頭皮などが挙げられる。

私たちが現在使っている貨幣のほとんどは、すでに銀行における電子帳簿上の費目として、デジタル形式で保有されている。第1印象としては、分散型台帳データベースを持つビットコインは、単に、現代の金融テクノロジーの派生物のようにもみえる。

暗号通貨の熱狂的な支持者は、さらに大きな希望を持っている。暗号通貨によって、国家が統制する貨幣の時代は終焉を迎える、と彼らは主張する。この考えは、オーストリアの経済学者フリードリヒ・ハイエクに倣ったものだ。

貨幣の脱国営化を構想したハイエクは、それがインフレとデフレの双方を終わらせ、失業問題を解決し、安易に紙幣増刷する中銀を廃止することで、政府による統制が限定されると考えた。一見してそれほど不都合な点はなさそうにみえる。

問題は、ビットコインの熱心な支持者が、貨幣の特性とその本質を混同している点にある。これは難しいテーマだ。主流の経済理論では、貨幣とは人々の信用の積み重ねで紙屑が物々交換に使われ、それを今では誰も疑わない。ゆえに精巧なニセ札を使われれば、優秀な経済学者だろうといとも簡単に引っかかってしまう。

紙幣が金との兌換性を保っていた時代には、ほとんどの人が、貨幣には、貴金属である金が持つ本質的価値があると信じていた。だが、18世紀初頭に起きたミシシッピ会社「バブル事件」の元凶となったジョン・ローは、「商品を交換する際の価値基準が貨幣なのではなく、貨幣という価値を求めて商品が交換される」としている。

要するに、金は、貨幣として用いられることによって、その価値の大半を獲得しているのであって、その逆ではない。では、貨幣はその価値をどこから得ているのだろうか。

紀元前3世紀のメソポタミア文明において、すでに貨幣は債務支払いのために政府が認可した計算単位として定義されていた。貨幣の国家理論では、貨幣とは国家主権によって発行される信用であり、その価値は、納税目的で使用可能である、という事実に由来しているとされる。

政府はこの計算単位に対する統制を固く維持しており、それが国家主権の重要な側面となっている。法律では、この公式貨幣が債務返済のための法定通貨であると規定している。

ローや彼と同時代の人々は、もう1つ別の考えも抱いていた。つまり、信用は、それが流通するときに貨幣として振る舞う、というものだ。18世紀のイングランドで「貨幣」を構成したものの多くは、商人が将来の受取りの代価として発行する為替手形だった。

同時に、初期のイングランドの銀行家は、融資を通じて貨幣を創出することを学びつつあった。この銀行貨幣は、現実の経済価値に対する請求権によって裏付けられていた。貨幣の信用理論によれば、貨幣は単に流通する信用にすぎない。

「通貨は、はかなく表面的だ。通貨は、貨幣の本質である信用勘定と決済の基礎的なメカニズムだ」とフェリックス・マーティン氏は「21世紀の貨幣論」で説いている。

「資本主義」という共通名称で呼ばれる経済システムは、信用関係の広大なネットワークによって構成されている。信用貨幣は、その重要な特徴である。

もちろんハイエクもこの点は認識していた。貨幣の独占権を政府から剥奪しようという彼の提案は、支配的な中銀を、競合する民間の貨幣発行銀行で置き換えようという構想だった。貨幣を発行する銀行同士の競争があれば、より健全な通貨が生まれることになる。だがハイエクの言う貨幣は、依然として信用貨幣の一種であろう。

ビットコインなどの暗号通貨は、まったく別物だ。

これらは、非信用通貨であろうとしている。つまり、対応する債務を持たない貨幣資産なのだ。だが、あらゆる貨幣は本質的に社会に対する請求権である。そうでなければ、「使う」ことができない。

社会が、 暗号資産を保有している新しいもの好きのオタクや日和見主義の投機家に対して、巨額の貨幣請求権を与えようと考えるべき理由があるだろうか。

さらに重要なことに、暗号通貨には信用創出の仕組みが欠けているため、資本主義経済にはあまり適していない。

ビットコインが通貨単位として受け入れられるとどうなるか、想像してみよう。デジタル通貨は欠乏し、その後は深刻な経済の縮小と終わりなき停滞が訪れるだろう。

だが、そんな状況は起きそうにない。単に経済的に無意味であるというだけでなく、各国政府が貨幣に関する独占を放棄するのは、暴力の独占を放棄するのと同じくらい、ありそうにないことだからだ。

理屈上どれほど望ましいものだろうと、貨幣の脱国営化というハイエクの提案は幻想にすぎない。

ノーベル賞を受賞したエコノミストが書いているように、「誰もが分っているのは、こうした民間の実験に成功の見込みがあれば、各国政府がそれを阻止するために一斉に介入する、ということだ」

「誰もが」と言っても、暗号通貨を買いあさる投機家は例外である。

彼らの一部は、ビットコインが決して貨幣に相当するものにはならない可能性があることを密かに認めつつも、金本位制が廃止されても金の価値が保たれたのと同じように、ビットコインの資産価値も維持されるだろう、と主張する。

これに対する反論としては、ビットコインが気の利いたオープンソースソフトウェアにすぎないことに対して、金には非常に長い歴史があり、非常に耐久性が高く、永続的な輝きを備えた本質的な美しさを持っている、と主張することができる。

だからと言って、ブロックチェーンなどの関連技術に未来がないという話ではない。

仮想通貨の新顔として成功を収めている「リップル(XRP)」は、グローバルな決済システムの改善に向けて銀行と協力しつつある。新たな種類の貨幣を生み出すことに比べれば控えめかもしれないが、こちらの方が、はるかに現実的な目標だろう。



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