英国(イギリス)とは

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく)
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
の通称としてイギリス、あるいは英国(えいこく)と呼ばれている。
ヨーロッパの主権国家である。ヨーロッパ大陸の北西岸に位置し、同国はグレートブリテン島、アイルランド島北東部、その他多くの島嶼を含む。北アイルランドはイギリスの一部であり、アイルランド共和国と国境(英語版)を接する。この国境の他に、イギリスは大西洋に囲まれ、東に北海、南にイギリス海峡がある。アイリッシュ海は、グレートブリテン島とアイルランド島の間に位置する。イギリスの総面積は243,610km2であり、世界第78位及びヨーロッパ第11位。
イギリスEU残留
イギリスの人口は2015年時点で推計6,471万人であり、世界第22位である。同国の統治は、議院内閣制の立憲君主制に基づいている。首都ロンドンは、ヨーロッパ第2の規模の都市的地域及びユーロスタットによれば欧州連合最大の約1,400万人の人口を有する都市圏であり、重要な世界都市及び金融センターである。現在の君主は、1952年2月6日以来エリザベス2世である。同国は4つの国で構成され、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドがこれに該当する。後者3つは各々異なる権限を委譲された(英語版)政権を有し、首都は各々カーディフ、エディンバラ、ベルファストである。ガーンジー、ジャージー、マン島はイギリスの一部ではなく、イギリスの君主をともに君主とし、イギリス政府が防衛及び国際的表示に対して責任を負う王室属領である。イギリスは、紛争中(英語版)のフォークランド諸島、ジブラルタル、インド洋地域を含む14の海外領土を有する。
イギリス内の各国間の関係は、時とともに変化してきた(英語版)。ウェールズは1536年及び1543年の統一法の下、イングランド王国により併合された。イングランド及びスコットランド王国間の連合条約(英語版)により、1707年にグレートブリテン王国に統合され、1801年にはアイルランド王国と合併してグレートブリテン及びアイルランド連合王国を形成した。1922年、アイルランドの6分の5が同国から脱退し、現在のグレートブリテン及び北アイルランド連合王国を形成した。以前の植民地であるイギリスの海外領土は、19世紀後半及び20世紀前半に絶頂期を迎え、世界の陸塊のほぼ4分の1を網羅し、史上最大の帝国(英語版)であったイギリス帝国の名残である。イギリスの影響力は、以前の植民地(英語版)の多くの国で、英語、イギリスの文化、法制度において観測される。
イギリスは先進国であり、名目GDPで世界第6位、購買力平価では世界第10位である。同国は高所得国(英語版)であると考えられ、人間開発指数は世界第14位で「非常に高い」に分類される。同国は世界初の工業化が成された国であり、19世紀から20世紀前半までの間、世界最高位の大国であった。同国は依然として列強であり続け、経済、文化、軍事、科学、政治で国際的な影響力を有する(英語版)。同国は核保有国として認められており、軍事費は世界第5位又は第6位(英語版)である。1946年の第1回国際連合安全保障理事会以来、同国は同理事会常任理事国である。同国は欧州連合 (EU) 及びその前身である欧州経済共同体 (EEC) の1973年以来の加盟国であり、イギリス連邦、欧州評議会、G7、G8、G20、北大西洋条約機構 (NATO)、経済協力開発機構 (OECD)、世界貿易機関 (WTO) 加盟国でもある。
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英語での正式名称はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland。略称はUK。
日本語での呼称は、一般的にイギリスである。江戸時代にはエゲレスという呼称も広く用いられた。漢字による当て字で、かつては英吉利と表記されることもあったが、21世紀の現在では、英国、あるいは単に英と、略称として使用されることがほとんどである。また、アメリカに渡るのを「渡米」と呼ぶのに対して、イギリスに渡ることを「渡英」と呼ぶ。
1707年連合法により、イングランド王国及びスコットランド王国は「グレートブリテンの名により1王国への統合」が宣言されたが、同法において、新国家は「グレートブリテン王国」、「グレートブリテン連合王国」及び「連合王国」とも言及された。しかしながら、「連合王国」という用語は18世紀における非公式の使用にのみ見られ、「長文式」でない単なる「グレートブリテン」であった1707年から1800年まで、同国はごくまれに正式名称である「グレートブリテン連合王国」と言及された。1800年連合法では、1801年にグレートブリテン王国及びアイルランド王国が統合し、グレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立した。現在の正式国名である「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」は、北アイルランドが連合王国の一部としてとどまった1922年のアイルランド自由国独立及びアイルランド分裂(英語版)後に採用された。
イギリスは主権国家として国であるが、イングランド、スコットランド、ウェールズ、それほどの段階ではないが北アイルランドも、主権国家ではないが国として見なされている。スコットランド、ウェールズ、北アイルランドは、権限を委譲された自治を有する。イギリス首相のウェブサイトでは、連合王国の説明として「1国内の国々」という言葉が用いられていた。イギリスの12のNUTS1地域(英語版)統計のような複数の統計的概要もまた、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドを「リージョン」と言及している。北アイルランドは「プロビンス」とも言及される。北アイルランドに関しては、記述名の使用が「多くの場合、個人の政治的選好を明らかにする選択で議論の的になり得る」。
「ブリテン」という言葉は、連合王国の同義語として頻繁に用いられる。一方、「グレートブリテン」という言葉は、慣例的にグレートブリテン島を、又は政治的にイングランド、スコットランド、ウェールズを結合して言及する。しかしながら、「グレートブリテン」は連合王国全体の緩い同義語として用いられる場合もある。"GB"及び"GBR"は、連合王国の標準国名コード (ISO 3166-2及びISO 3166-1 alpha-3を参照) であり、その結果として国際機関が連合王国への言及に用いる。さらに、連合王国のオリンピックチームは「グレートブリテン」又は「チームGB」の名称を用いる。
形容詞の「ブリティッシュ」は、連合王国に関する事項への言及によく用いられる。「ブリティッシュ」は明白な法的含意はないが、連合王国の市民権及び国籍に関する事項への言及に法律上用いられる。連合王国の国民は、自らの国民性を表現するのに多数の異なる用語を用いり、自らをイギリス人であるか、イングランド人、スコットランド人、ウェールズ人、北アイルランド人、アイルランド人であるか、又はその両方であると見なし得る。
2006年、イギリスのパスポート(英語版)に新デザインが導入された。新パスポートの1ページ目には、英語、ウェールズ語、スコットランド・ゲール語で正式国名が記載されている。ウェールズ語での正式国名は"Teyrnas Unedig Prydain Fawr a Gogledd Iwerddon"であり、政府のウェブサイト上での略名は"Teyrnas Unedig"であるが、通常は語形変化した形"Y Deyrnas Unedig"から"DU"と略される。スコットランド・ゲール語での正式国名は"Rìoghachd Aonaichte Bhreatainn is Èireann a Tuath"であり、略名は"Rìoghachd Aonaichte"である。

1066年にノルマンディー公であったウィリアム征服王 (William the Conqueror) がイングランドを征服し、大陸の進んだ封建制を導入して、王国の体制を整えていった。人口、経済力に勝るイングランドがウェールズ、スコットランドを圧倒していった。
1282年にウェールズ地方にもイングランドの州制度がしかれ、1536年には正式に併合した(ウェールズ法諸法(英語版))。1603年にイングランドとスコットランドが同君連合を形成、1707年、スコットランド合併法(1707年連合法)により、イングランドとスコットランドは合併しグレートブリテン王国となった。さらに1801年には、アイルランド合併法(1800年連合法)によりグレートブリテン王国はアイルランド王国と連合し、グレートブリテン及びアイルランド連合王国となった。ウィンザー朝のジョージ5世の1922年に英愛条約が発効され、北部6州(北アイルランド;アルスター9州の中の6州)を除く26州がアイルランド自由国(現アイルランド共和国)として独立した。1927年に現在の名称へと改名した。スコットランドが独立すべきかどうかを問う住民投票が2014年9月に実施されたが独立は否決された。
イギリスは世界に先駆けて産業革命を達成し、19世紀始めのナポレオン戦争後は七つの海の覇権を握って世界中に進出し、カナダからオーストラリア、インドや香港に広がる広大な植民地を経営し、奴隷貿易が代表するような交易を繰り広げイギリス帝国を建設した。中国国内でのアヘン販売を武力で認めさせるため、清朝に対して阿片戦争を仕掛けた。栄光ある孤立はエドワード7世のときに放棄され、イギリスの覇権を裏づけていた金融資本は世界各地に散らばってゆき、やがてバルフォア報告書が提出された。
第二次世界大戦後はかつて植民地であったアメリカに覇権を譲った。労働党のクレメント・アトリー政権が「ゆりかごから墓場まで」をスローガンにいち早く福祉国家を作り上げたが、階級社会の伝統が根強いこともあって経済の停滞を招き、1960年代以降は「英国病」とまで呼ばれる不景気に苦しんだ。
1980年代に保守党のマーガレット・サッチャー政権が経済再建のためにネオリベラリズム的なサッチャー主義に基づき、急進的な構造改革(民営化・行政改革・規制緩和)を実施し、失業者が続出、地方経済は不振を極めたが、ロンドンを中心に金融産業などが成長した。1990年代、政権は保守党から労働党のトニー・ブレアに交代し、イギリスは市場化一辺倒の政策を修正した第三の道への路線に進むことになった。このころからイギリスは久しぶりの好況に沸き、「老大国」のイメージを払拭すべく「クール・ブリタニア」と呼ばれるイメージ戦略、文化政策に力が入れられるようになった。




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