ヴィクター・ニーダーホッファー(びくたー にーだーほっふぁー)とは

ビクター・ニーダーホッファー
Victor Niederhoffer
1943年12月10日にアメリカのニューヨーク市ブルックリン区で生まれた

マタドール・ファンド運営ヘッジファンドマネジャー
マンチェスター・トレーディング運営ヘッジファンドマネジャー
カリフォルニア大学バークレー校の元教授
スカッシュの元学生チャンピオン

ハーバード大学で統計学と経済学の学士号を取得、シカゴ大学で博士号を取得。
1965年、学生であった彼は友人のフランク・クロスと共に、非上場企業を買収し上場企業に売却する目的での投資銀行を共同設立。
1967年~1972年、カリフォルニア大学バークレー校にてファイナンスの教授を務める。
1980年には投資ファンドを設立しパフォーマンス的にも成功を収めると、それがジョージ・ソロスの目にとまり、ソロスのファンドのパートナーとして招かれた。
1982年~1990年、ソロスのファンドに在籍したが、ソロスはニーダーホッファーのことを「相場で勝ち続けながらも(ソロスの元を)自ら去った、唯一のファンドマネジャー」と高く評価しており、自分の息子に彼の元でトレーディングを学ばせたほどである。
1996年までニーダーホッファーは高いパフォーマンスを続け、世界一の投資家と称えられた。
1997年のアジア通貨危機で大敗し、彼のファンドも破綻に追い込まれた。このときの彼は、同年10月27日の株価の大暴落が大衆を巻き込んだヒステリックなもので翌日には大きく反発すると予想し、プットオプションの売りポジションを取った。しかし取引額が大きかったので5000万ドルの追証が発生。その金額を集めることができなかったために、翌朝の寄り付きには多額の含み損が発生し、強制決済された。まるでタイタニック号が沈んだ時のようだとニーダーホッファーは語った。そしてその日の午前10時には、ニーダーホッファーの思惑どおり株価は大きく反発、暴騰を始めた。
1998年、破産して私財を売却し、自宅を担保にして手に入れた資金を元手に再度ファンドを設立。
2001年から2006年にかけて年率40%以上のパフォーマンスを記録した。
2007年のサブプライム危機および信用収縮により、ビクターの運用するマタドール・ファンドは75%以上の資産を失い、同年11月にはクローズに追い込まれた。

彼はスカッシュの選手として歴史に名を残すほどの名プレーヤーであり、ハーバード大学時代には学生チャンピオンに輝き、全米硬式スカッシュの大会では5回の優勝、ダブルスでも3回の優勝を達成、スカッシュの殿堂入りを果たしている。

祖父は音楽事業で成功した実業家で投資家でもあったが、1929年10月29日暗黒の金曜日に全財産を失った。なお、日本ビクターの前身であるビクタートーキングマシーン社も1929年に買収されているが、同社とは無関係である。父親は14歳で大学に入学したのち警察に勤務、働きながらも2つの大学で博士号を取り犯罪学の教授にまでなった秀才だが、株には生涯一度も手を出したことがない。弟のロイ・ニーダーホッファーは投資会社R・G・ニーダーホッファー・キャピタルマネジメント社長をしている。

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